1950-05-02 第7回国会 参議院 議院運営委員会 第66号
常任委員長につきましては、各党から全部出揃いまして、内閣委員長の河井彌八さん、懲罰委員長の太田敏兄さん、郵政委員長の水久保甚作さん、電気通信委員長の松野喜内さん、建設委員長の中川喜平さんがそれぞれ辞任せられまして、後任に内閣委員長に伊達源一郎さん、懲罰委員長に岡村文四郎さん、郵政委員長に鈴木安孝さん、これは水久保甚作さんの代り、電気通信委員長の松野喜内さんの代りとして城義臣君を、建設委員長に中川幸平君
常任委員長につきましては、各党から全部出揃いまして、内閣委員長の河井彌八さん、懲罰委員長の太田敏兄さん、郵政委員長の水久保甚作さん、電気通信委員長の松野喜内さん、建設委員長の中川喜平さんがそれぞれ辞任せられまして、後任に内閣委員長に伊達源一郎さん、懲罰委員長に岡村文四郎さん、郵政委員長に鈴木安孝さん、これは水久保甚作さんの代り、電気通信委員長の松野喜内さんの代りとして城義臣君を、建設委員長に中川幸平君
それから仲子さんの次が無所属懇談会の太田敏兄さんで、これが十五分であります。それから三好始さんがその次で二十分でございます。このお三人今日できれば上乗じやないかと思います。その次共産党の細川さんが二十分でございます。 〔「そこまでやつちやどうです。」と呼ぶ者あり〕
それから自由党四十六名、民主党四十五名、社会党は太田敏兄さんが出られたことにいたして計算しておりまして四十一名、無所属懇談会の十九名は、太田敏兄さんが入られ、正統派の五名の方が入られたことにいたして計算いたしております。新政クラブ七、諸派純無五、この中には阿竹さんがお入りになることにしてあります。欠員が六名。こういうことで計算しております。